トーレスモデル





 岐阜に戻り、徐々に納得のいく仕事ができるようになっていた。
トーレスモデルへの執着はなくなっていた。
ところが、思わぬことが起きた。
細川さん(細川鋼一:ギター文化館初代館長、コレクター)から、製作を学びたいという若い子がいるので教えてやってほしいと言われたのだ。名前は新池翔太という。

甘い仕事ではないので逡巡したが、細川さんの頼みなので引き受けた。
数台作ってもらった後、はて、どうしたものかと考えあぐねていたが、良い機会だからとトーレスモデルを作ってもらうことにした。
細部に至るまで詳細に指示を出した。

果たして結果は、、、、、大成功!
もちろん、トーレスと同じ、、というわけではない。
しかし、3ミリ厚の力木でちゃんとしたギターになっていた。
我々の年代には懐かしい雰囲気の立派な楽器に仕上がっていた。
こちらが考えていたことが立証されたし、わたしとしては大満足。


新池翔太作トーレスモデル
(力木3ミリ厚というのがミソ!力を抜けば横板が支えてくれる。)



ただ一方で、これでトーレスが完全に理解できたとも思えなかった。
以前、細川さんは、トーレスには前例があるのではないか、つまり、誰かの力木配置を真似たのではないか、という指摘をした。わたしはこれにおおいに賛同した。
製作家というのは一生理想の力木配置を求め続けるもの。
ところが、トーレスは最初っから揺るぎない。もちろん、楽器のサイズにより力木の本数が違っていたりはする。しかし、根本的な考え方は微動だにしない。
これはあり得ない、絶対にあり得ないことだ。
トーレスはペルナスに就いていた、とか、そうではないとかいろいろ言われるが、そうしたことに個人的に興味はなかった。トーレスほどの鋭い感性を持ち合わせている人間ならば、他の製作家の力木配置で優れたものを偶然見つけ出すことだってあり得るだろう。

もう一点、トーレスはなぜ表板をあのように削ったのか。
じつは650ミリのトーレスの表板の中央の厚さは2.5ミリもある。
それでいて外側は1.4ミリほどなのだ。
中央と外側でほぼ1ミリもの厚さの違いを出すのは極めて面倒な作業である。
なぜ、そこまでしたのか。
何か今一つ腑に落ちないという思いを個人的には持っていた。


ある時、新池君から、今の設計で640ミリの弦長の楽器を作れますか?という質問があった。「やめておいた方がいい」、即座に答えた。
645ミリなら何とかなるが、640ミリとなると大抵は楽器本体の設計まで練り直さなくてはならない。
ただ、同時に思った。
弦長600ミリほどの楽器はどうしたら作れるのか。
これは個人的には引っかかっていたことだ。
私は一般に19世紀ギターとかロマンチックギターと呼ばれる楽器を実際に作ろうと考えたことはなかった。しかし、どうやって作ったらいいのか答えを持ってるわけではなく、そのことが少し気にはなっていた。

この時思った。弦長600ミリのギターを作るのであれば、トーレスの力木配置で作ると。
小さなギターの太鼓は小さい。
小さな太鼓は大きく使ってやるべき。
それには、トーレスの力木配置は最善の方法に違いない。

一歩前進した。

トーレスの5本の力木配置図。
小ぶりな楽器に採用された。 








トーレスの謎






ギター文化館ではいろいろなギターを見ることができた。
でも、一番印象に残っているのはトーレスだった。もっとも影響を受けたのはたしか。
ただ、トーレスモデルを作ろうと考えたことは一度もなかった。
実際にトーレスに触れてみれば、この楽器は現代の楽器とはまるで異質な雰囲気を纏っていることは誰でも分かる。

今現在までトーレスを超える低音に出会ったことがない。
資料を見ても、例えば、力木の厚さは3ミリしかないという。
一般の方には分からないかもしれないが、3ミリというのはあり得ないほどに薄い。
たしかに表板中央を柔らかくすれば低音は出るが、そこは弦をとめている場所だ。
(これがギター製作のパラドックス。)
場所によって異なるが、普通は中央の力木はだいたい5ミリくらい。
それでもヘタってはいけないからと中央だけ幅を8ミリ(通常力木の幅は7ミリ)にしたりしていた。それがなぜ3ミリで大丈夫なのか?
力木配置も外周から固めていて、まるで鳴らすことを否定しているかのようだ。
さっぱりわからない。
分からないことはできない、トーレスに心は動かされても作るわけにはいかなかった。




そんな折、ホセ・ルイス・ロマニロスの楽器がヒントをくれた。
彼はけっこう構造的には変遷のある人なのだが、彼の最終モデルを見る機会があった。
御子息が後を継いでいるため詳細に話すことはできないが、かなり大胆な、それまでの常識を覆すような構造だった、とだけ言っておこう。

分かったことは、張力は表板の中央で受け止める以外にも方法がある、ということ。
中央が十分な強度を持たない場合、結果的に側が張力を支えることになる。
さすがはトーレス研究に没頭した人だ。
この、言わば張力の分散の力学とでも言うべき観点は大きな大きな収穫だった。

トーレスの力木は確かに3ミリという薄さではあるが、横板に隣接して配置すれば十分な剛性を持つことができる。なおかつ、力木が紡ぐように全体をびっしりと覆っている。
また、一般にトーレスの表板は薄いと考えられているようだが、中央は2.5ミリと当時としては画期的と言っていいほどに厚い。その一方で外側は1.4ミリほどなのだ。
つまり、ものすごく大雑把に言えば、周囲は力木で固め、中央は表板を厚くすることで全体としてバランスが保たれてる、とでも言ったらいいだろうか。

そして、トーレスという楽器は、側で、横板で、つまり器全体として張力を受け止めているということが分かった時、わたしはちょっとした絶望感に陥った。
表板はヘタるが、器はヘタらない。これ以上盤石な構造などあるはずがないように感じた。
だから100年以上の歳月を経ても使える。
トーレスを超える構造などないのかもしれないとこの時は思った。

なんとかとっかかりが掴めたため、むしょうにトーレスを作ってみたくはなった。
しかし、日々の製作に追われ、わたしにその余裕はなかった、、、、残念!