トーレスの音

2001年、ギター文化館において"YASATOギター製作展”が催された。

わたしも参加させていただいたが、プロ・アマ問わず多くの楽器が展示・演奏された。
その折に、わたしは細川館長にトーレスを披露してくれるよう依頼した。
コンサート形式でトーレスの音を聞きたかったからだ。
わたしにはかねてから疑問があった。トーレスという楽器は確かに素晴らしいが、現代の楽器のようなダイナミックな音ではない。トーレスが現代の楽器と互角に渡り合えるのか確かめたかった。





演奏は富山幸男氏が務めた。(富山幸男氏はプロではないがプロギタリストの井上学氏と定期的に文化館で二重奏の演奏を行っていた確かな腕の方。デザイナーで、わたしのギターのラベルは富山氏のデザインによる。この時のトーレスは650ミリのフルスケール。)

まず1音出した瞬間に館内の空気が変わった。
それまで聴いていたギターとは全く異質なものを感じたからだろう。
そして、音が大きい。
トーレスの特徴は?と聞かれれば、音が大きいことだと答えたいくらいだ。
そして、その音というのが実音というよりもPAで拡大されたような音なのだ。
まるでトーレスにはスピーカーが内蔵されているかのよう。
(これは本当にそうで、その理由は後々判明したのだが、これはこうしてコンサートホールで弾いてもらったからこそ明白になった。)

そして、思った。トーレスの中音は低音であり、トーレスの高音は中音だと。
中音と高音を比べれば、中音の方が強い。                             現代の楽器と互角に渡り合えるどころか、トーレスと渡り合える楽器はごくわずかしかないだろう。トーレスの低音?、、、、、、、、、極低音だ。


ギター文化館のようなよく響くホールであればどんな楽器であってもよく聞こえる、という声をたまに聞くことがあるが間違いである。
無人の館内であればそうかもしれない。
しかし、館内が人で満たされるとこのホールは豹変する。
音が前方に飛ぶ楽器・タッチでないと散々な結果に終わる。
わたしはそうしたケースも見た。
演奏が終わると、聴衆はまるで3Dの映画を見終わったかのようにボ~ッとしていた。

トーレスは低音楽器、これがこの時の私の結論だった。

低音楽器となるとバッハにうってつけだ。
ウルフィン・リースケというドイツ人ギタリストがいて、彼があらゆる銘器による演奏をレコードに残している。そこでトーレスによるバッハが聴ける。
聴いてみたのが、、、もちろん悪くはない、悪くはないのだが、トーレスがバッハにうってつけという感じでもない。むしろ、サントスのバッハの方がピッタリと感じた。
トーレスに合うのはやはりタレガなのだ。
トーレスに合う曲は、ずばり”アラビア風奇想曲”である。
アラビアの砂漠の夜空に輝く満点の星空、悠久の時が流れる幽玄の世界。
トーレスの音は、滋味な味わい深い音ではない。なんとも不可思議な夢のような音だ。
スペイン人というのはぶっ飛んでる。木で作った楽器からこんな音を出すなんて。
木質感ではない、もっと先を見てる。先鋭的であり独創的。
だからか、トーレスに俗っぽさは感じられない。

トーレスとの出会い


アントニオ・デ・トーレス
 


アントニオ・デ・トーレスを知ってはいても、実際にその音を聞いた人はあまりいないだろう。
ましてや、実際に弾いたことのある人ということになれば極々少数ということになろう。
べつにトーレスを知らないからと言って不都合があるわけではない。
しかし、フリアン・アルカスやタレガがトーレスを弾いてクラシックギターの世界が大きく拡がっていったことは間違いなく、その後のクラシックギターの進展においてもトーレスの影響は垣間見られる。
例えば20世紀において、アンドレス・セゴビアがバッハのシャコンヌを演奏して世界に衝撃を与えたが、それはドイツのハウザー一世の楽器によるものだった。そのハウザー一世というのは、トーレスの力木配置をほとんどそのまま採用した楽器なのである。


わたしがトーレスに出会ったのは茨城のギター文化館においてである。
スペインから帰国して、それなりに動いてみたもののうまくいかず、関係者に相談したところ、細川鋼一氏(ギター文化館初代館長、コレクター)を紹介された。(ただ、彼とはマドリーのアルカンヘル工房で面識はあった。)
設立間もないギター文化館に彼の車で訪ねたことが懐かしく思い出される。
以来、折に触れて岐阜から茨城を訪ねることとなる。







ある日のこと、細川氏が弦長600ミリほどの小ぶりな楽器を
渡した。彼は何も言わなかったが、それがトーレスだった。
弾いてみると、わずかに”チンッ”と鳴る。
古い楽器であることはすぐさま分かったが、正直これは少々きついなというのが正直な感想だった。

別の日にその楽器を彼が弾いていた。
こうした年代の楽器を聞くのはおそらくこの時が初めてだったろう。現代の楽器とは異なり何の抵抗もなくそのまま音が出てくる感じ。
トーレスの場合、小ぶりな楽器であるにもかかわらず、低周波の響きが匂い立つように拡がる。
”ドスン!”という重量感のある低音を持つ楽器は数少ないが存在する。しかし、トーレスの場合、それが前方に拡がっていく。たしかにこんなギターは後にも先にもトーレス以外存在しなかった。