トーレスに繋がる道筋

ベネディー、パヘースからトーレスへ



かつてギターは表・裏それぞれ横断する3本の太い棒で支えられていた。
それがロマン主義の影響からか、ラスゲアードよりもプンテアードが重要視されたせいか、
6単弦化のせいか、構造上の変化が18世紀末にスペイン南部のカディスで起こった。
表板の駒下にあった棒を取り去ったのだ。(スペイン人ならやりそうな気がする。彼らの思い切りのよさは常日頃から目にしてきた。)
いわゆる力木の誕生である。




この経緯をわたしはこう考えている。
彼らは当初駒下の棒を取り払い、そのままギターとして成立させようとしたのだろうと。
もちろん、それでうまくいくはずはない。
駒とサウンドホールの間は窪み、駒下は膨らんで使い物にならない。
しかし、今さら元に戻る気はしない。そこで、表板に細い棒を盾に配することにより対応しようとした、これが経緯だったんじゃないだろうか?

これは実際に確かめもした。
ギター文化館にはパヘースのギターが所蔵・展示されていた。
(アントニオ・パヘース・ロペス、1795年作。)
パヘースを調べたところ、そこには拍子抜けするような現実があった。
駒からサウンドホールに向かって、縦に薄い棒が2本、無造作に配されていた。
最初の力木とはこんなものだったのだ。





パヘース一族は4代続いた。他にカディスにはベネディーという製作家がいる。
彼らの構造は似ていることから、互いに親交があったことが推測される。
両者共に、6単弦のみならず、6復弦も作っていた。
まさに過渡期の製作家であり、力木を創造した画期的な製作家だったのかもしれない。
もっとクローズアップされるべき製作家である。

文化館のパヘースは試奏もした。
”あ、ギターだ、まっとうなギターだ、” というのが偽らざる感想。
古楽器然とした感じではなく、普通にギターだと感じた。
この時点でギターは完成していたのだ。


ホセ・パヘース、1812年作
まったりとした豊かな量感がある。クビレの下の部分が丸く弧を描いてる。   
太鼓を丸くしようとしてるわけで、音のことを考えてることが伺える。     
だから、実用楽器の表情を持っている。                   
これに比べるとパノルモはお飾りに見えてくる。               



ギターは古くからスペインで作られてきた。
それはつまり、何百年もの間、スペイン人はギターを作るために板を削ってきたことを意味する。当然、板の剛性を見る目も養われ受け継がれてきただろう。
地図を見れば、カディスとセビージャは絶妙な距離にある。
ベネディー、パヘースが始めた力木によるギター製作が拡がり、力木配置の試行錯誤が繰り返されたに違いない。それを完成させたのがトーレスだった、とわたしは考えている。

ギター文化館にいた時に見た楽器の中で、トーレスは別格だった。
トーレスは完成していた。トーレスのみが完成していたと言ってもいい。
物理的・機能的完成度ではなく、価値観を含めた総体として完成していた。
それは一人の人間のみで成し得ることではない。
18世紀末から始まった一連のギター製作を総括していたからだ。