トーレスを何と言って説明したらいいのだろうか?
ずっと考えあぐねていた。
一番分かりやすいのは、”トーレスは19世紀のダブルトップ”という表現だ。
これには個人的に抵抗感があった。
しかし、言い切ってしまうとその通りで論理的破綻も来たさない。
トーレスで特筆すべき点は、その音響的ポテンシャルである。
なんのストレスもなく音が出てくる。
遠達生に優れ、ステージで栄える。
しかし、古い楽器だから仕方ない部分もあるが、ひとつひとつの音の粒が脆弱である感は否めず、音の密度も高いというわけではない。
トーレスの真骨頂で音の持続は長い。
これはひょっとすると皆が望んでいたことで、撥弦楽器でそれを実現したことは大したものだが、実現してしまうと、’あれ、これって撥弦楽器なの?’という疑問が湧き出てくる。
同じ疑問を演奏にも感じることがある。
アンドレス・セゴビアと言えば、史上最も優れた偉大なギタリストと言われたりする。
実際そうなのかもしれない。
しかし、アストゥーリアスをなぜあのように”ボローン”と弾くのだろう?
”ジャンッ!”と弾き切ってしまえばいいではないか、それがギターというものだ。
アランフェス協奏曲を彼は絶対に弾かない。
あれはレヒーノに捧げられた曲だからというのが真の理由ではないだろう。
細かな速いパッセージとラスゲアードを駆使している点が嫌なのだろう。
しかし、それは撥弦楽器であるギターの持ち味であり醍醐味である。
彼がフラメンコ的、スペイン的世界にトラウマを抱えていることは巷間伝えられてる。
彼は自らを純然たるクラシックの奏者であることを宣言し、ロマン主義的世界に向かった。
セゴビアはトーレスを認めていない。
理由は間違いなくトーレスはタレガの愛器だからである。
おそらく、タレガ直系の弟子から教えを受けたレヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサが世間的にはタレガの後継となるのかもしれない。
しかし、わたしはセゴビアこそがタレガの後継者であり、彼に最も合うギターはトーレスであると思う。